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執筆者の写真kishida ken

トヨタTS020 その3


どうもキシダ模型でございますm(__)m

あったかーーーい!(*´▽`*)

週末は夏日だそうで!! 暑くなりそうですね!!

うちは、エアコンもありますし、基本涼しいので暑いの苦手な人はどうぞw

昨日ははるばる大阪からのお客様が(*´▽`*)

いろいろと、大阪の製作スペースさんのお話とかを聞くことができて楽しかったです

ありがとうございました!!

あー

さて

今日はトヨタTS020についての第3回目です


前回まででTS020が当時、先鋭的な車だったというのが何となくお分かり頂けたかと思いますが・・・

今回は、当時の(90年代中盤~後半)のルマンGTカテゴリーの状況についてざっくりと解説していきたいと思います。

98年ルマンはまた次回・・・(^^; 80年代に隆盛を極めたグループCカーによるレースは、92年からのエンジンレギュレーションの変更もあって参加メーカー、チームが激減、グループCカーによるルマンをはじめとするスポーツカーレースは93年でほとんどが幕を下ろすことになります。 94年のルマンからはGT(市販車ベースのレースカー)とオープンスポーツプロトタイプを中心とする車両規則に変更されます(94年のみ条件付きでグループCカーの出走可)

ルマンの主催団体ACOは将来的にGTをトップカテゴリーにし、離れてしまった自動車メーカーを呼び戻すべく、GTを優遇する規則を作ります。 当時、GTカーのレースで人気だったBPR GTシリーズは最低25台以上の生産台数という規則がありましたが それがルマンでは、前回でも書いた、公道走行可能な1台を製作すればOKとなりました。

(ダウアーの話はぶっ飛ばしますw) 94、95年はマクラーレンF1 GTR、フェラーリF40LMなどのプライベートチームが中核のGTクラスでしたが96年からはワークスポルシェが911GT1で参戦


97年からはBPR GTシリーズがFIAの管轄となりFIA GT選手権となり、シリーズ戦もルマンと同様の車両規則となります。

そこにITC(インターナショナルツーリングカー選手権)消滅により行き場を失ったメルセデスがCLK-GTRを製作して参戦(ルマンは98年~)

ルマン24時間にはスカイラインGT-Rで参加していた日産が、かつてジャガーのCカーを製作していたTWR(トム・ウォーキンショーレーシング)とジョイントして製作したR390GT1に車をスイッチします


R390登場時も

これは・・・もうCカーでないの・・・(^^;

と思ったものですww 97年からはマクラーレンF1も改良を施した97年型へ進化し、エンジンを供給していたBMWのワークス体制で参戦しますが・・・

ポルシェ、メルセデスのような、ほぼ純レーシングカーと言っていい車には95年のルマンを制したマクラーレンも、もはや歯がたちませんでした


ポルシェ、日産がGT1カテゴリーで参戦し出した。96年、97年でしたが、ルマンを制したのはドイツのチームヨーストのプロトタイプカーでした。 そして、98年はトヨタとメルセデスがGT1カテゴリーで、BMWがオープンプロトでルマン参戦を発表。 市販車ベースのGTカーによるレースというのは早くも形骸化していまいましたが、このような状況下でTS020は誕生したのであります。

次回こそは98年ルマンを・・・(^^;

おまけ

某ゲームにも登場しているのでご存知の方も多いと思いますが、97年ルマンから参戦したパノス・エスペラントGTR-1という車があります


アメリカの富豪ドン・パノス氏がこさえたこの車

ミッドシップレイアウトが常識の時代に、あえてFR。 エンジンはフォードの6LプッシュロッドのV8というアメ車! ヘンテコな外観と、ドルルルルルルルルーーーというアメリカンV8サウンドで個性抜群の車でした。

しかもこの車、意外と速いんですよね・・・(^^;

当時、好きな車でしたw

なんでも、オーダーすればまだロードカー製作してくれるそうですが・・・

ほんとなのかな・・・(^^;

それでは、本日もオープンしております!! 平日はガラガラーだので、ゆったーーり使えますよーーー(;・∀・) ご来店お待ちしておりますので、本日もよろしくお願い致します!!

したらねー( `・∀・´)ノ


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