どうもキシダ模型でございますm(__)m なんだか最近Ⅳ号戦車づいてるので、Ⅳ号戦車について書きたいと思います それでは、よろしくお願い致しますm(__)m 1931年にドイツ陸軍交通兵監部の幕僚であったハインツ・グデリアン中佐が新時代の機甲部整備方針を打ち出します それまでの戦車部隊は歩兵が前線を突破するための支援が主任務だったわけですが、グデリアンは戦車を集中運用し、敵前線を突破、その機動力を持って敵中枢に打撃を与えるという戦術を提唱しました。 この方針に基づき、2種類の戦車を整備する要求がなされました。
1つは対戦車戦闘を重視した装甲貫徹力が優れた砲を装備する主力となる戦車
もう1つは、大口径の砲を装備し火力支援を行う戦車 後に、前者がⅢ号戦車、後者がⅣ号戦車をなるわけであります。 火力支援戦車は秘匿名称BWの名で各社に設計要求が提示され、1936年にクルップ社が開発及び生産を担当することに決定します。 この時にⅣ号戦車 Panzerkampfwargen Ⅳの制式名称が与えられました
当初の案では、この後に登場するドイツ戦車に用いられた、トーションバーサスペンションとオーバーラップ配置の転輪という足回りの設計であったが、生産型では転輪を2輪一組のボギー式リーフサスペンション(板バネ)というコンベンショナルな形式に改められました。
搭載された砲は、当時としては大口径である7.5cm KwK37 Ⅳ号戦車は1937年10月頃より生産が開始され、1938年からドイツ陸軍へ引き渡しが行われました。 1939年9月にドイツはポーランドへ侵攻を開始。第二次大戦が開戦。 この時点で、主力であるはずのⅢ号戦車は色々と新機軸を盛り込んだ設計であったため生産が上手く進んでおらず100輌ほどが配備されただけでありましたが、Ⅳ号は200輌程度が実戦へ投入されています。
当初生産されたA~C型は増加試作的な車両で、本格的な量産型はD型となり、1939年10月から生産が開始されました。 40年9月からは各部の防御力向上のため増加装甲板を装着したE型の生産も開始。 41年4月からは車体を設計変更し基本装甲厚を増厚したF型の生産へと移行 41年6月のソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)時には500両程度のⅣ号戦車が配備されていました。 そして、バルバロッサ作戦が開始され、ソビエト領内へ侵攻したドイツ軍機甲部隊の前に強敵が現れるのであります・・・
続く・・・(;・∀・)
続くの・・・(;・∀・)
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